どうも、のうみです。
1995年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督のセブン。
字幕版のみだけどアマプラにて絶賛配信中。(2020.1.26現在)

主演を務めるのはミルズ刑事役ブラッド・ピットとサマセット刑事役モーガン・フリーマン。
サマセットは退職まであと一週間と迫ったベテラン老刑事。
異動してきた若き刑事ミルズはそんなベテラン刑事とキリスト教の七つの大罪をモチーフとした狂気的殺人犯ジョンを追う。
サマセットは老境にいたり抗うことに否定的で厄介なことに関わらない性格、それとは対照的に若きサマセットは熱い刑事魂を表に出している。
この犯罪を捜査することに乗り気ではないサマセットはミルズの指南役として捜査を進めていき、その中でサマセットの妻トレイシーと交流を深めていく。
そしてトレイシーから夫には秘密にしている妊娠のことを相談されサマセットは答える。
「自分にも結婚を考えた女性が妊娠したが、こんな酷い世界に子供を産むのか?と自問し、彼女に堕胎をするように何週間も説得した」
「子供を諦めるなら妊娠は秘密にしろ。もし産むつもりなら、精一杯甘やかして育ててやれ」と。
この映画は単に猟奇殺人を捜査する作品ではない。
サマセットはこの社会の腐敗や誰もが自衛の為に見て見ぬふりするこの無関心な世界に失望している。
ミルズがそんな社会が生む犯罪をなくせると信じていて二人刑事のスタンスの差異がこの物語の重要なポイント。
多くの経験を重ねた老人の世界への失望感と社会の生む悪意と対峙する若き青年の使命感が対象的に描かれている。
サマセットもかつてはミルズのように人の犯罪と向き合った時があり、捜査の指南役を嫌々ながらも務めながら熱血漢のミルズと共に犯人であるジョンに徐々に近づいていく。
しかし二人をあざ笑うかのようにジョンはその猟奇的殺人をGLUTTONY【暴食】・GREED【強欲】・SLOTH【怠惰】・LUST【肉欲】・PRIDE【高慢】に当て嵌めた人物を狙い次々と犯行を重ねる。
そんな中でジョンを目前にして逃したミルズは怒りの感情を露わに。
ミルズの命を奪えたのにそうしなかったジョンに情けをかけられて生かされたから…しかし、それはこの一連の七つの大罪の最後のピースだった。
唐突に捜査は終わりを告げる。
犯人であるジョンが自ら出頭し、全ての罪を認めた。
そして、ある場所に行けば残りの犯行も供述すると約束し、その場所にたどり着くと一台の車がこちらに近づいてきた。
ジョン・ドゥの天国への階段
ジョン・ドゥの天国への階段
車から降りた人物は配送を頼まれたと箱をサマセットに渡します。
その中には妊娠中だったミルズの妻トレイシーの首が入っていた。
離れた位置にいたミルズとジョンは会話し、あの箱には妻の首があると伝える。
サマセットは駆け寄りジョンに銃口を向けるミルズに語り掛けます。
「殺せばお前の負けだ」
ジョンは最後に語ります。
「私はミルズ君の家庭に嫉妬したのだ」
銃弾がジョンの頭を貫いた。
ジョンのENVY【嫉妬】・ミルズのWRATH【憤怒】により全ての罪人に罰を与え、その使命を終えた。
これはサマセットの物語
これはサマセットの物語
後味の悪い映画と言われても仕方がない絶望的な結末。
ラストで連行される壊れたミルズを見送るサマセットが「ヘミングウェイも書いていた。世の中は美しい、戦う価値はある。後の部分には賛成だ。」こう呟き物語は幕を閉じる。
後半部分には賛成ということは前半の「世の中は美しい」を否定し老刑事サマセットは世界は腐敗していることを確信した。
しかし、後半の「戦う価値はある」に賛成と言ったのはこの腐った世界にも戦うだけの価値があると信じることにしたから。
物語において終始この世界に失望感を抱いていたサマセットがどうしてこのような心境の変化になったのか?
ミルズがジョンを殺したことで負けたのだとしても妻の為、まだ見ぬ子供の為に、その引き金を引いたことが無意味なことだとは思いたくなかった。
変えることのできない結末、だとしても正義を信じ悪に抗う意思が若き刑事ミルズから老刑事サマセットへと受け継がれた。
これこそがこの作品のテーマだと思う。
腐敗した世界に抗うことに年齢は関係なく生きている者は失ったも者の為に一歩を踏み出さなければならない。
それが変わることのない腐りきった世界だとしても。
何の為にミルズが戦い、何の為にトレイシーと小さな命が失われたのかはサマセットの生き様に掛かっている。
