どうも、のうみです。
2016年にエヴァンゲリオンの庵野監督によって制作された『シン・ゴジラ』を今回は紹介します。
キャッチコピーは現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)なのですが、公開当時はこのゴジラのことを戦争や原発に例えられ様々な論争がありました。
国家という巨大な組織が不測の事態や未知の事象に対応した場合の意思決定の難しさを考えさせられる作品でもあります。
たぶん、これは日本だけに限ったことではなく民主的なプロセスによって中央が意思決定をする際には仕方がないことだと思います。
しかし、観てる人をイライラさせるシーンもきっと多かったはずです。
現実が突き付けられる作品
現実が突き付けられる作品
ゴジラはキャチコピーにもある通り虚構の存在ではあります。
今の日本に、このような脅威が実際に訪れた場合はこの映画のように混乱しないと言えるでしょうか?
恐らく現実はこれを超える経済的混乱などによって、国民はパニックになるでしょう。
自衛隊の戦力も制限された中で戦うことになるもどかしさや米軍に頼るしかない状況は、まさに今の日本の現実そのものだと思います。
窮地に陥った時に国民は武力の意味を理解するでしょうね、残念ながらそう思った時には全てが手遅れですが。
そして、如何なる殺傷兵器もゴジラを倒すことができず、東京にゴジラを凍結させることになる展開も意味深ですよね。
日本はこうして世界が注目する高い危険リスクとその大いなる恩恵を首都に保有することになります。
この恩恵とはゴジラのDNAには人類の8倍の情報量を持ち死すらも超越している。
つまり、生命の進化の終着点と呼べる存在であり研究材料としての価値は計り知れない。
物語の続きを考える日本の未来
物語の続きを考える日本の未来
映画のラストに凍結したゴジラの尻尾に人の形をしたシルエットが幾つか生えてるのがわかります。
果たしてこれが人類にとって希望の存在なのか、絶望の存在なのかわかりませんが日本を取り巻く状況は一変します。
作中でも語られてた通り、核による攻撃がいつでも可能な態勢をとらている状況になりわけですから、油断を許さない状況は終わることはないでしょう。
こうなると原発に例えるのは少しミスリードのような感じもします。
ゴジラは人類の脅威でもあるけど人類を救う存在でもあるので科学技術全般を指してるような気もします。
私はこの作品を観て思ったのは、ゴジラのような存在は実は世界のどこにもでも存在するのではないかと思っています。
人類を救う場合もあるし脅威となる場合もあり、生まれた以上は捨て去ることのできない人類の生みだした英知や技術によって生まれた副産物なのではないでしょうか。
どう使いながら共存するかが重要なのです。
その先の未来には破滅しか人類には待っていないように感じますが、まぁエンディングの捉え方は人それぞれです。
