どうも、のうみです。
お金、それは人が生み出した国境や文化や宗教も超越するある種の信仰のようなものであり誰もがその甘美な魅力に惹きよせられる、まるで光に集まる羽虫の如く。
ダークソウルを愛する紳士淑女、不死人、狩人、狼の皆さん、お久しぶり。
何故、ソウルが貨幣として武器や防具や糞団子と交換できるのかダクソ民は知ってる?
不死人にとってソウルとは自我を保つ為に不可欠な力であり、生者を取り戻す人間精すらもソウルとの交換が数量限定だけど可能。
このように不死人にとってソウルは何物にも代えがたい、極めて貴重なモノ。
レベルアップにソウルを使用することに理由があるように、貨幣として使用できることにもゲーム上のご都合主義ではなく明確な理由がある。
ダクソ無印の三つの硬貨のテキストを確認すると商品取引の場において貨幣【通貨】はこの時代にも存在し、少なくとも人の世界では硬貨によって経済が回っている。
ですが、不死人の間で取引できる貨幣はソウルだけ。
ソウルの価値は変動する
ソウルの価値は変動する
ソウルが不死人たちの取引において不変的な価値だと思ってるかも知れないけど、そうではない。
アイテムを売買している対象者や条件によって、そのソウルの価値は変動していた。
しかし、ソウルの価値が実は時代と共に大きく変動していることを知っていましたか?
私たちの生きている現実世界と同じくダクソ世界も貨幣(ソウル)の価値は経済状況に連動している。
現実世界の貨幣価値の変動はダクソ世界よりも多くの経済的要因或いは地政学的要因が複雑に絡み合っています。
だからダクソ世界は単純かと言うとそうでもない。
ダクソの世界観の解釈はプレイヤーごとに浪漫があるので、論点がブレないように重要なキーワードに関しては以下の前提条件で語ることにします。
神々【創造主。世界或いは古竜の中に宿っている遺志。伝記上の神々。時代や世界によって呼び名は異なる。上位者、高次元存在。】
王たち【はじめての火の闇より生まれた者たち。王のソウルの見出した者。最初の死者、ニト イザリスの魔女と、混沌の娘たち太陽の光の王グウィンと、彼の騎士たち。誰も知らぬ影の小人。】
人【はじめての火の闇より生まれた王。王のソウルの見出した者。誰も知らぬ影の小人の末裔たち。ダークソウルの継承者。小人の王。ダークレイス。】
はじまりの火から与えられる生命エネルギー【神々の力→供給】
ソウル【闇から生まれた生命が神々の力から得た力→需要】
上記の前提条件によりはじめての火から与えられる生命エネルギーとソウルを区別しています。
その理由はダクソ無印のプロローグに語られている。
古い時代 世界はまだ分かたれず、霧に覆われ 灰色の岩と大樹と、朽ちぬ古竜ばかりがあった
だが、いつかはじめての火がおこり 火と共に差異がもたらされた 熱と冷たさと 生と死と そして、光と闇と
そして、闇より生まれた幾匹かが火に惹かれ、王のソウルを見出した
最初の死者、ニト イザリスの魔女と、混沌の娘たち
太陽の光の王グウィンと、彼の騎士たち
そして、誰も知らぬ影の小人 それらは王の力を得、古竜に戦いを挑んだ
グウィンの雷が、岩のウロコを貫き 魔女の火災は嵐となり
死の瘴気がニトによって解き放たれた
そして、ウロコのない白竜、シースの裏切りにより、
ついに古竜は敗れた 火の時代のはじまりだ
だが、やがて火は消え、暗闇だけが残る
今や、火はまさに消えかけ、人の世には届かず、夜ばかりが続き
人の中に、呪われたダークリングが現れはじめていた…
引用元:www.darksouls.jp
はじめての火→差異の発生→その差異【闇】から這い出た生命→その幾匹かがはじめての火から王のソウルを見出す。
幾匹という、まるで蟲でも扱うようなニュアンスから闇つまり深淵に潜んでいた原初生命には微かなソウルしか持ち合わしていない極めて脆弱な生命だった。
王のソウルとは、進化という途方もない時の中で練り上げられた末に頂点に君臨する者と、その片割れだけが持ち得た尋常ならざるソウルのこと。
余談だけど差異のない古い時代に触れたプロローグの冒頭で、朽ちぬ古竜が灰色の岩と大樹と同等に物質的に扱われ「あった」と表現されてるのは興味深いよね。
こうして改めてプロローグを見ると、いろんな妄想が膨らむけど今回の投稿ではスルーします。
それと経済学で紐解くと大風呂敷を広げていますが、経済要素が30%とダクソ要素が70%とかなりダクソに偏った解説になりそう。
それでもダクソプレイヤーに対して経済という目覚めを促し、認識を深める瞳を植え付けることができたなら幸い。
長文ではありますが、読み終えた後にMMT【現代貨幣理論】について興味を持って貰えることを願ってます。

自国通貨を発行できる政府及び中央銀行は財政赤字を拡大しても債務不履行(デフォルト)になることはない。
財政赤字でも国は過度なインフレが起きない範囲で支出を行い需要を喚起する。
税は財源ではなく貨幣を流通させる仕組みであり過度なインフレの調整弁としての役割りがある。
余り知られていないのですが財務省の公式資料にも記載があるように、国債を自国通貨で発行する限りは通貨発行権もつ日本政府(日本銀行)は債務不履行にはならないと認めている。
後半でこのMMTについては簡単にですが解説しますので、今は分からなくてもまったく問題ないので安心して読み進めてね。
先に言っておきますが、終盤からちょっと着いてこれない人も出てくるかもしれないので先に謝っておきます、ごめんね(笑)
余り親しみのない経済用語には解説やイラストを入れているので最後まで読んでみてね。
ブログ史上最長のテキスト量になってしまいましたが、のうみが一晩でやってくれました。
経済学とダクソの二つの言論界を跨ぐので多くの識者によっての不要な論争を避ける為、この投稿は私の中での物語であること理解して読んでね。
そうしないと双方の界隈にいる識者からツッコミ入りそうで怖いから。
二つの異なる世界を交わらす危険な行為だけどダクソ世界だって異なる世界や時間が交わり生まれたお伽噺(おとぎばなし)だから、糞団子をエスト瓶に突っ込む愚行をどうか許してほしい。
火の時代と闇の時代の狭間の世界
火の時代と闇の時代の狭間の世界
ソウルを得た者たちが繁栄し、光り輝く生命が謳歌する世界「火の時代」とは何だったのか?
結論を先に言うと、火の時代とはソウルの適度なインフレーションが起こっている世界。
適度なインフレとは、需給が適切なバランスを保たれた適温インフレの状況。
最近、見かけなくなったメディア御用達の日本経済破綻論者が盲目的に語るハイパーインフレーションではない。
インフレには幾つか種類があり物価ばかりが極端に上昇する悪いインフレもあるので、ここで言うインフレとは賃金も物価も上昇する良いインフレと定義します。
インフレとは、財とサービスの価格が上昇し、貨幣の価値が財とサービスの価値よりも相対的に低下する為、貨幣価値の低下とも言える。
はじめての火の供給により闇から生まれた者たちが需要に満ち溢れた世界。
そこにはソウルの利用者たる生命が溢れていた。
ダクソ世界での需要とは、それは認識する力であり、そこから生まれる欲望や渇望を数値化したものをソウルと呼んでいる。
王たちや人を含めて、闇より生まれし生命にとって他者を認識して世界を観測することで生まれる愛や憎悪や探求こそが需要の根幹。
プロローグにあるように生命は全て闇より生まれし者。
その中でも人は他の王たちにはない人間精という業を内に秘め、いずれ訪れる闇の時代に適合する稀有な存在。
インフレによりソウルの貨幣価値は希薄化していくことになる。
硬貨を扱う貨幣システムもダクソ世界には存在し、それは人の世界でのみ流通している。
ダクソ無印の三つの硬貨のフレイバーテキストにあるように貨幣システムは、あくまでも欲深い人の間での取引でしか流通していないのは何とも皮肉。
生者としての繁栄した時代の人の世のみ取引に利用されたいた硬貨。
ただ、王たちや国家間で硬貨を使用していないとは考えれず、もしかすると迫害を受けた欲深く卑しい人間に両替商や高利貸しなどの貨幣に関わる商を任せていたのかもね。
生きる意味も人の手に掛かれば硬貨という経済的な貨幣価値によって置き換えられた、その有様を見たら王たちから欲深く卑しい者と思われても仕方がない。
人はいつかソウルを独占しようとするだろ!→おっしゃ、そんじゃ先にボコして幽閉しちゃえ!→その中ですら搾取し合うの(笑)
これには、さすがに王たちも人間ってやっぱりヤベェ奴らやんってドン引きしたはず。
王たちも大概なことしてるけど、全ては宿命付けられた定めだったのか?
ダークリングという祝福という名の呪い、埋まることのない喪失感とそこから生み出される渇望には底もなく救いもないのか?
こちらがダクソ無印の硬貨のフレイバーテキスト。※重複部分を一部省略。
金の硬貨【金で作られた硬貨 中央は主神ロイドと彼の白い光輪である 人の世ではきわめて価値の高い金貨もソウルが貨幣のロードランではあまり意味が無い】
銀の硬貨【銀で作られた硬貨 中央は伝説の騎士王レンドルの肖像である 人の世では価値の高い銀貨もソウルが貨幣のロードランではあまり意味が無い】
銅の硬貨【銅で作られた硬貨 中央は酒と薬の神マクロイフ親父の横顔である 人の世界ではそれなりに価値のある銅貨もソウルが貨幣のロードランではあまり意味が無い】
気になったのが金貨【ロイド】と銅貨【マクロイフ】は神々なのに対して、どうして銀貨【レンドル】だけ王なのか?
伝説の騎士王と呼ばれてので英雄譚から生まれ語り継がれるレンドルは人にとっては神々と同等の扱いなのか?
ダークソウルの世界ってかなり思い込みによって構成されてる部位分が多いよね。
人も王たちでさえも神々が与えたソウルの本質を曲解して利用していると思う。
余談だけど、ダクソ3にて錆びついた金貨と錆びついた銅貨はあるのに、錆びついた銀貨がないのも興味深い。
レンドルには神々の力(発見力の上昇)は宿ることはなかったのは、つまりは彼は人にとっての象徴的存在に過ぎなかったということ…と思ったけど違いました(笑)
ダクソ3での錆びついた金貨と錆びついた銅貨のフォルムがダクソ無印での金の硬貨と銅の硬貨とは違い、どうやら通貨として使用された時代や文化が異なり関連性はなさそう。
ダークソウル無印で不死人が溢れた世界はどのような状況と言えるのか?
私はこの世界のことを「黄昏(たそがれ)の時代」と呼んでいます。
厳密に言うとダクソ無印、ダクソ2、ダクソ3の世界の状況はそれぞれ異なりアイテムの価値が変動している部分もありますが、この投稿では黄昏の時代で統一します。
何となく察しているとは思うけど、黄昏の時代はソウルのデフレーションが起こっている世界。
現実世界の今の日本経済と同じ状況と言えばわかり易いと思う。
デフレとは、財とサービスの価格が下落し、貨幣の価値が財とサービスの価値よりも相対的に上昇する為、貨幣価値の上昇とも言える。
ダクソ無印のエンディングにあるダークソウルの継承者たる闇の王が支配する世界「闇の時代」に関しては富がたった一人の手に一極集中した完璧なディストピア世界。
黄昏の時代のソウルの価値は極めて高く貴重で持てる者だけがソウルを得る格差社会。
人は不死人となり他者から限りあるソウルを搾取する世界へと変容し、生者としてソウルを探求する者なども少なからず存在はしたが大半はソウルを奪う亡者となった。
終わりゆく世界にダークソウルを受け継ぐ人間のみが、この世界に順応するようにできていたことは救いなのか、あるいは悲劇なのか。
光が存在する限り差異も失われることはなく、この世界から相反する存在の片方だけが消失することはない。
プロローグ通りの順序なら、はじめての火というパンドラの箱に残った希望は火は陰り消えゆく世界を新たな世界へ繋ぐ為に神々が仕掛けた安全装置。
人間とは不死人つまり亡者こそが本来の姿であり、生者とは火の時代を維持する為の火継ぎシステムによって生まれた仮初の姿。
火の時代を維持する火継ぎとは神々によって確立されていた光と闇の循環の輪を欺き、闇の時代を回避する為に王たちと世界の蛇が生みだした偽りの循環の輪。
それでは「灰の時代」とは?
それは差異のない全てがひとつだった時代、つまり需給のない世界。
ソウルのインフレもデフレもなく、ただ神々の遺志だけが在った世界。
差異がないのに神の遺志が在るは矛盾するけど、彼らの遺志は世界と分かたれずひとつになっている。
強いて認識しているものがあるとするなら、この世界【自己意識】のみを認識している。
ここら辺は浪漫として妄想するしかなくて、生命が行き着く果ての存在である彼らを人の思考に縛られてる我々には認識も理解もできない。
ただ、そこに在った宇宙或いは世界の遺志を宿した古竜とは、超越者が求めた高次の存在。
生命には創造主たる神々の意思を組み込まれている。
神も王も巨人も人さえも等しく行き着くところは世界との一体化【石、大樹、木、灰】なら生命の火継ぎ【火→黄昏→火】がなくとも神々の循環の輪【火→黄昏→闇→灰→火】となったはず。
はじめての火が発生した瞬間に数多の世界と時代を時の螺旋状で幾度となく繰り返しても世界の終焉は必要なサイクルだった。
朽ちぬ古竜は王たちに倒されるべく存在し、真の不死とはウロコの結晶によって傷が再生し死なないことではなく、失われることなく世界と完全に同化している状態、これこそが真の不死【朽ちぬ遺志】のかもね。
では、どうして本来は無限の供給だったはずのはじめての火から与えられるエネルギーが、どうして限りあるものになったのか?
ソウルの供給者とソウルの利用者
ソウルの供給者とソウルの利用者
神々とはソウルの供給者であり、王たちと人を含む生命はソウルの利用者です。
両者には超えれない壁があり、それはイザリスの魔女と、混沌の娘たちが試みた火の創造とその禁忌の代償を見れば明らか。
しかし、火の時代において闇の時代の到来を恐れた王たちと彼らに追いやられた人も互いに、はじめての火からもたらさた際限なき供給【神々の理】を疑い、人はソウルを奪い始めた。
王たちの火の陰ることへの恐れが、人を幽閉【ダークレイスは古ロンド、小人の王たちは輪の都】するに至り、人の闇の時代へ安全装置としての機能を歪め、利用したのが火継ぎ【偽りの循環の輪】です。
火継ぎのシステムとは、こうした生命の業すらも考慮し構築された神々の理に抗うシステム。
王たちも世界の蛇も本当に策士ですね。
黄昏の時代から再び火の時代を取り戻す為、ダクソ無印の火継ぎのエンディングにあるように散らばったソウルの回収と集約により、主人公が消えかけの火の薪となり再点火。
神々の理を疑うことなく信じて需要(認識する力)を高めることで安定的にコントロールができた可能性があったと思う。
王たちは火の時代の陰る宿命に抗いそして恐れ、人がソウル奪い始めたことで起こるはずはなかったはじめての火から与えられる神々の際限なき供給はその恐れによって本当に終焉を迎えることになったのでは?
火の陰る時代は、この供給を奪い合うことで需要を満たし、神々への信仰は薄れ、祝福という恩恵も失われ始めたのではないのか?
黄昏の時代とは信仰を失ったが故に本当に神の意思さえも薄れてしまった闇の時代に突き進む準備段階の世界とも言える。
ソウルとは奪い合えば足らないけど、分け合えば誰もが満たされるはずだったにも関わらず「生命の業」が「神々の理」を砕いた。
火の時代とは創造主たる神々に向けられた信仰そして創造物たる生命への祝福によって成立していた、信仰と祝福によって互いを認識する思い込みに近い相互依存の関係によって成立していた世界だったのでは?
それが例え思い込みだとしても、そこに在った神々への信仰から生まれた認識共同体こそが世界繋ぎ止める極めて重要な鍵だった。

ダクソの世界では観測者は神々だけでなく、我々プレイヤーもその一部であるとするなら、これも認識する力として世界を構築するシステムに組み込まれてる。
そもそも、主人公を認識してダクソ世界の行く末を観測し選択しているプレイヤーとの深い繋がりが主人公との次元を超えた絆として作用している。
人が獲得したダークソウルには闇の時代に向かい、その闇に順応する性質を授かり、偽りの循環の輪である火継ぎの終焉を迎える。
神々の理を壊す根幹にあるのは、ソウルへの誤った解釈が生んだソウルのプール論。

このソウルのプール論から生まれた悪手は以下の三つ。
神々の理を信じることができなかった生命の業【尋常ならざる巨大なソウルを持っているがソウルを蓄えることができない王たち、そしてソウルを無限に蓄えれる欲深い人間たち、恐らくこの両者の埋まらぬ溝が火継ぎの有無に関わらず闇の時代に向かう宿命】
王たちの人への恐れからの生まれた差別と迫害【人のみが持つ無限の器に秘めたソウルの蓄積と際限の無い搾取を危険視して隔離又は幽閉によって弾圧】
王たちの中で暗躍する者たちの策略【内部勢力及び他国からの勢力を含む火継ぎ懐疑派やソウル破綻論者による火継ぎ肯定派への破壊工作】
神々も王たちも人も決して一枚岩ではないのがダクソシリーズ通し明らかであり、誰かが良いとか悪いとかなく全てに罪深い業をある。
王の近くに寄り添い闇の世界を望む者、亡者であることを願う者、様々な価値観が渦巻く中で主人公の手に世界の向かうべき方向が託される。
仮に火継ぎがなくとも世界は神々の理によって闇の時代を迎えて全てが朽ち果てた後に灰の時代へ移行する。
これこそがダクソ世界の避けることのできない宿命であり真理。
経済は闇の時代になる宿命なのか?
経済は闇の時代になる宿命なのか?
残念ながらダクソ世界では、火の時代から黄昏の時代を経て、どう抗おうとも闇の時代に堕ちるのは宿命。
火の陰りは文明の栄枯衰退の定めであり神々のもたらした理。
これこそが生命に課せられた逃れることの出来ない「はじめての火を得たことで生まれた原罪」なのかもね。
どんなに抗ってもソウルの需給を適切にコントロールすることができなかったダクソ世界。
王たちの神々に抗う行為として創り上げた火継ぎは果たして禁忌だったのか?
火の時代の終焉は定められ、必然的に闇の時代を迎え闇の王は全てのソウルを己に取り込み、誰も王を認識する者が存在しなくなれば王さえも灰となり世界は灰の時代へと移行する。
燻り続ける灰の中から再びはじめての火が生まれる。
破壊から創造という文明の終焉を避ける為に王たちは歪み穢れた火だとしても、火の時代を維持する火継ぎこそが世界にとって儚いものだったとしても生命の安寧の時を願ったことが罪となのか?
闇の時代を望む者たちも、本来の在るべき姿を望み、繰り返す世界の終焉を望む、この気持ちも納得できる。
生命には闇へと向かう業が内在し、穢れは血に宿り、澱みは魂を蝕み、そして人のみにダークリングが現れた。
その澱み【人間精】は火継ぎによって凝縮され、深淵の底のさらに底に溜り、はじめての火の差異によって生まれた闇より発生する原始生命の起源。
だからこそ、闇から這い出た生命は自分たちに欠落した光を求めた。
しかし、それを受け入れる者もいれば拒絶する者いた。
奇跡『家路』より
高位の聖職者の使う偉大な奇跡の1つ 最後に休息した篝火に戻る
本来は故郷への帰還を可能にするが 不死の呪いがそれを歪めている あるいは、篝火が不死の故郷なのか
この帰路のフレイバーテキストが示す本来の故郷とは、主人公の二度と帰れない不死人になる前の生家のことだと思ってた。
これはミスリードで不死の呪いが歪めた本来戻るべき場所、生命の故郷とは篝火が歪めた深淵だったのかもね。
余談になるけど、ダークソウルは英訳タイトルではDARK SOULS。
DARK SOULではなくDARK SOULSなのはダークソウル継承する末裔たちの物語と思ってた。
だけど、これは異なる種類や性質のことを示し、ダークソウルに秘めた生命の多様性と無限の可能性を表しているのでは?
その多様性こそが救いとも見えるけど、可能性の中には世界を終わらせる力も秘めてるので良いことばかりではない。
真の現代貨幣論
真の現代貨幣論
ここまで語ったことが何となく現実世界の経済とリンクしている。
ダクソの世界観【火の時代と黄昏の時代】をイメージして考えると頭に入り易いと思う。
サラっと流し読みでも良いので、ダクソ並みに深い経済の深淵に触れることができるはず。
どんな感じかと言うと、神々の役割りが現実世界の政府及び中央銀行って感じでリンクしてる。
神々→政府及び中央銀行【日本銀行】→貨幣の発行者【政府は国債発行、日銀は貨幣発行】
王たち→民間企業【財務】→貨幣の利用者
人→国民【家計】→貨幣の利用者
生命エネルギーやソウルは現実世界の貨幣で需給関係にあるのでGDPに置き換えれる。

神々が与えるはじめての火からの生命エネルギー→現実世界の供給【潜在GDP】
ソウル→現実世界の需要
GDPには、主に名目GDP、実質GDP、潜在GDPの三つがある。
名目GDPとは、その生産数量に市場価格をかけて生産されたものの価値を算出して全てを合計することで求めます。
一方、ここから物価の変動による影響を取り除いたものを実質GDP。
潜在GDPとは今の経済構造の下で資本や労働などの生産要素が最大限に投入された場合の国内総生産の供給能力の限界点。
つまり、需要【名目GDP】が拡大して供給【潜在GDP】超えると物価上昇は加速するためMMTにおいても国債発行には制約が必要ってこと。
GDPについイメージし易くする為に再び火の時代と黄昏の時代での比較イラストで解説。
現実世界の経済においては、黄昏の時代【デフレ経済】を脱却する為には、本来の供給能力【潜在GDP】に対して現実の需要【名目GDP】の乖離部分であるデフレギャップを埋める必要がある。
そして、供給能力を超えて需要が伸びていく流れこそがインフレ。
これを実現しようとしたのがアベノミクスだった。
財政政策のアベノミクスと対となる金融政策の日銀の量的緩和発動によって一年目までは成功の予兆があった。
残念ながら二年目以降は日銀だけが市場にお金をジャブジャブ流している状況であり、本来は政府の財政出動と日銀の量的緩和の両輪が揃ってこそ経済の好循環が生まれるはずでした。
これでは、ウォール街やシティの連中そして投資家に甘い蜜を吸わせるだけでいつまで経っても日本が豊かになることはない。
自分で語っておいてアレですが、個人投資家としては胸に突き刺さるものがある。
しかし、これは昨今の実体経済と金融市場を見れば明らかで二つの世界は乖離しまくってるよね。
ここで冒頭で触れたMMTについての三つの要点をダクソ世界を交えて考えてみる。
私の立ち位置を明確にしておくとMMT推進だけどMMT信者ではないのでありからず。
経済学にも派閥があり、ダクソでいう火継ぎ肯定派と否定派や白教や黒教会、ブラボでいう医療教会や聖歌隊やカインハーストやメンシス学派みたいなものと思ってもらうと分かり易いかも(笑)
自国通貨を発行できる政府及び中央銀行は財政赤字を拡大しても債務不履行になることはない。
財政赤字でも国は過度なインフレが起きない範囲で支出を行い需要を喚起する。
税は財源ではなく通貨を流通させる仕組みであり過度なインフレの調整弁としての役割りである。
世界経済はコロナ禍で大規模な財政出動する中、未だに日本では緊縮財政を行い続けてる。
これはデフレ経済は政府にとっては都合が良くコントロールしやすいから。
緊縮財政とは歳出を厳しく抑制する財政で、景気の加熱を抑える為に財政当局が支出の削減や増税などにより総需要を引き下げる政策のこと。
日本もこのコロナ禍で大規模な財政出動をしていると感じてるいる人も中にはいるとは思う。
だけど、30年のデフレ経済と消費増税とコロナのトリプルパンチを喰らっているKO寸前のグロッキーな状態でコロナ前に経済が戻っただけではデフレは終わらない。
MMTで重要なことは税は財源ではないという事実。
コロナで財政が危ないから増税は仕方がないと考える人々は貨幣のプール論に完全に支配されている。
金本位制や銀本位制という時代は終わっていることをまず理解し、現代において貨幣は信用創造によって生まれている。
政府は税金を国民から徴収しますが集めた税金をどこかに貯めて支出する訳ではない。
国民から徴税すると税収分の金額が銀行所有の日銀当座預金から政府所有の日銀当座預金に移動し、お金をまた元に戻すというだけで財源にはなりません。
日銀当座預金とは金融機関が日銀に開設している無利息の当座預金。
金融機関、日銀、国との決済や金融機関が企業や個人に支払う現金の支払い準備、金融機関の準備預金の為に利用されている。
わかり易い例えがあるのですが、親【貨幣の発行者】が子供【貨幣の利用者】から奪ったお金をお小遣いの財源にするってありえないよね?
政府の財源は主に国債発行であり、政府は日銀に命令し政府所有の日銀当座預金に振り込ませるだけのこと。
それなのに政府、官庁、財界、メディア、言論人によって事実を意図的に歪めて世論を扇動。
財源=血税や国債発行=国の借金や政府財政【貨幣の発行者】を国民家計【貨幣の利用者】に当て嵌めるなど明らかな悪意を持って歪曲した情報を垂れ流している。

プライマリーバランスの黒字化を目指す狂った政府方針、それを忖度するメディアを通じてMMT推進派は弾圧され一般世論の場では異常者扱い。
公の場から完全に排除させられる始末。
プライマリーバランスとは、国や地方などの財政収支のこと。
歳入総額から国債等の発行による収入を差し引いた金額と歳出総額から国債費等を差し引いた金額をグラフ化したもの。
国債発行=国の借金と一見すると正しいように思えるけど、正しくは国債とは、政府の債務(赤字)=家計と民間企業の黒字をいう事実をどうして捻じ曲げて伝えるのか?
昨年の国民への一律十万円給付など分かり易い事例で、結果として仮に十万円が全て貯蓄に回ったとしても、それは家計の黒字。
米国や欧州や中国の様に大規模財政出動による計画的な長期需要喚起政策があれば良かったけど、残念ながら日本政府は今後も緊縮財政に突き進むつもり。
プライマリーバランスの黒字化を実現した時の政府の国債発行は抑えれて嬉しいでしょうね。
ただし、国民の家計と民間企業の財政は今ある黒字を失ってることになります。
厳密に言うと国民の家計と民間企業の財政は性質が異なり、家計から貯蓄がゼロになることはないけど、需要を失った状況では企業は間違いなく投資を控えることになる。
その結果の大きなツケを最終的に誰が払うことになるかは言わなくてもわかるよね?
誰かの赤字は誰かの黒字。
こんな当たり前の事実が無視されてデフレ経済にも関わらず「増税は仕方がない、後世への負の遺産をなくそう!」という狂ったスローガンによって長期デフレに突き進む。
これにより日本経済は30年に渡る黄昏の時代を迎えることになった。
国債発行によって生まれる貨幣の信用創造のプロセスを理解せずに限られたお金が経済というプールの中を回っていると誤解している人が招いた悲惨なミスリード。
貨幣の発行者たる政府および日銀は、その力を正しく行使し大規模な財政出動によって民間需要を喚起することで経済の好循環を生むことができる。
MMTはお金に関する固定概念を壊し、壮大なテーマに思えるかも知れないけど低迷する日本経済の打開につながる一歩になる。
米国や欧州そして中国もコロナで傷んだ経済を再生させる政策を今も打ち出している、日本を除いて。
日本ではMMTにスポットが当たる機会は少なく、米国では政治を巻き込み経済界で大きな論争になっている。
余談ですが、皆さんはふるさと納税を利用していますか?
あれって地方自治体【貨幣の利用者】が他の地方と税収を奪い合う黄昏の時代の不死人と同じ状況なんですよ。
日本政府【貨幣の発行者】には通貨発行権がありますが、地方にはその力はないので税収【地方自治体にとっては財源】を奪い合うしかない。
大切だから二度言います、誰かの赤字は誰かの黒字。
地方財政の黒字化と言えば聞こえがいいけど、その時の民間企業の財政と国民の家計は果たしてどういう状況になっているのかな?
MMTはデフレ経済の救世主なのか?
MMTはデフレ経済の救世主なのか?
現実世界の経済においてもダクソ世界と同じく適切なインフレ経済を安定的にコントロールするのは極めて難しい。
そもそも経済学には絶対的な解決策などありません。
経済学は他の学問と異なり絶対的な法則はなく、例えば物理学で手から離れたリンゴがどうなるかと学者に聞いて100%一致する答えは存在しません。
もし神の一手があるなら、そもそも論争にすらならないはず。
MMTで語られる理論通りに経済がコントロール可能なのかは、残念ながらMMTは実行してみないと分からないのが現実。
米国、欧州、中国の経済が今後どの様に変化するのかでMMTの実態が明らかになる。
中国は何年も前からMMT的政策によって日本経済を追い抜いているので、答えは既に出ているような気もします。
しかし、未来の事は誰にもわからない。
大規模な財政出動によって発生する適切なインフレを税制によってコントロールができたとしても、金融市場【株式、債券、先物、為替】に群がる怪物がどのように動くかは誰にも予測できない。
これは過去の金融市場による実態経済へのダメージを見れば明らか、それを乗り越え市場は強固なものになっているように見えても、変わらぬ市場参加者の願いは自己の利益の最大化。
MMT推進派でも意見は分かれそうだけど、私は投資を趣味でやってるので断言するけど市場が同じ方向に余りに急激に流れ出すとそれを止めるには劇薬が必要。
実体経済と金融市場、どちらに主導権があるのか謎だけど市場を在るがままに政府が放置することは危険なこと。
だからこそダクソの火の時代の様に需給をコントロールする者の手腕が問われる。
30年前のバブル期に致命的な失策を重ねた日本政府は当時と同じ状況になることを恐れてるのかもね。
今の段階で言えることはデフレ経済である限りは貨幣の力は富める者へ集中し、確実に闇の時代に堕ちていく。
増税は好景気の過度のインフレを抑制し、格差是正の為に行うのであって、当たり前のことだけど好景気に行うのが増税、不景気に行うべきは減税。
MMTは所詮は机上の空論と思う人もいろけど、世界に類のない日本経済の黄昏の時代をどう説明するのかな?
コロナで1年以上も傷付いた経済を考えると日本は闇の時代へと向かう後戻りできない段階に入っている。
三十年間積み上げられたデフレ経済という明らかな事実、誰も言い逃れができないのでは?
これは決して飛躍的な発想ではなくソウルを貨幣として使用する不死人と現実世界の私たちは繋がっている。
一人でも多くの人にMMTを知ってもらい正しい貨幣観を獲得してほしいと願ってます。
闇に慣れた我々は照らされる月光でも満たされるが、その光の道筋を辿った先には輝く太陽があることを忘れていけない。
MMTによって経済的な問題が全て解決とはいかないけど、小さな火こそが次の世代に引き継ぐための真の循環の輪の礎。
この投稿では経済学とMMTについて説明不足な部分があり疑問が残る部分や理解できない部分もあるはず。
ですが、偉大な賢人たちによる討論や主張はネットに溢れているので興味ある方は調べてみて自分の頭で判断してみてね。
