どうも、のうみです。
最近、アマプラで一日一本は映画を観るのが習慣になりつつありますが独自のルールで例えどんな作品であっても必ず最後まで観るようにしています。
たまに序盤で「あ、これは…」って思う作品であっても、創るのに大勢の人の力と血反吐を吐く思いをして脚本を書いた人がいるのを創造すると観るしかない。
最初に言っておきますが投稿に書いたこの「億男」は素晴らしい作品。
原作は川村元気さんの小説で主人公一男には佐藤健、その親友九十九(つくも)には高橋一生が演じています。
エンタメ作品としてとても面白い映画ですが、実は最後まで見た後でどういった捉え方をするかで、その人のお金に対する考え方や人生において何が大切なのかが露わになる作品。
思わぬ幸運からの…
思わぬ幸運からの…
三千万もの借金を背負い二つの仕事を掛け持ちしている一男。
妻とも離婚、最愛の娘と出会える限られた週末のある日に立ち寄った商店街の福引で当たった宝くじが当選して三億円を手に入れる。
思わぬ幸運に動揺する一男は長い間、会っていなかった九十九にならこの三億円をどうすればよいか相談できると信じて再開を果たす。
パーティーで盛り上がり羽目を外した隙に九十九に三億円を持ち逃げされてしまう。
知り合いを通じて九十九が起業した企業バイカムのかつての共同経営者に出会いながら足取りを追いその中で一男と九十九。
二人が会わなかった空白の11年と三か月に何があったのかが次第にわかっていく。
もし三億円が当たってなかったらどうなったのか?
もし三億円が当たってなかったらどうなったのか?
一男は家族をお金があれば取り戻せると思っていましたがそれは幻想。
妻や娘が求めていたモノ(夢や愛つまりは希望)と借金で追い詰められた一男が求めていたモノ(金)が異なり、それが修復できないほどの大きな溝があったから。
借金とういうお金に振り回されたことで一男にとって大切モノが家族からお金に変わってしまった。
では、仮にあの3億円がなければ彼の人生は救われていたのでしょうか?
恐らくは救われることは無かったでしょう。
何故かと言えば一男の考えを変えたきっかけを与えた重要な鍵はお金だったから。
改めて思います…お金って大事!
改めて思います…お金って大事!
深読みしすぎかもしれませんが、この映画は単純にお金より夢や希望が大切という作品では無いと思う。
この作品を観ていて、一番印象に残っている言葉で九十九が一男に対して「みんな、お金知ろうともしない、だから金に振り回される、お金に使われる。」と言ってた。
若くして九十九は企業してお金というモノに振り回されない生き方をできるだけの才覚を持っていた人物と一男は信じていたからこそ、三億円の使い方のアドバイスを求めました。
しかし、話が進むにつれて九十九もお金に振り回されていたところを見る限り九十九自身にも未だにお金の正体を知ることは出来ていないように思う。
ただ、一男との大学時代のモロッコ旅行で大金を迷うことなく一男のために出せる九十九はお金をどう使うかが重要という考えを持っていることがわかります。
モノの価値は売り手と買い手の状況に応じて変動し、そしてお金で買えないモノは確かにある、けれども無ければ大切なモノを見失う、一男の様に。
家族、そして九十九との思い出が一男にお金では決して買えない大切なモノを気付かせてくれます。
ですが、この考えは一男にしても九十九にしても私は富を持った者の論理のように感じる。
この作品の伝えたいのはそういうことでは無いのかもしれませんが「富を持つ者」と「持たざる者」の心理には決して超えることのできない壁があると思う。
何故なら作中にでている、全ての登場人物が不思議な力を宿したお金に結局は振り回され行動し、そして考えを巡らせているのだから。
それはきっと誰もお金の正体を知る人はいないとういうことなのかも?