どうも、のうみです。
StayHome期間に視聴した映画の中で一番衝撃を受けた映画「STAY」を考察。
2005年に公開されマーク・フォースター監督作品、アマプラにて配信中。(2020.6.26現在)
キャストや制作スタッフに公言絶対禁止とされた作品らしいけど、そもそもやってはダメな気もするよね。
ニューヨークのブルックリン橋に座り込むヘンリー。
燃え上がる車両を背に悲しげな表情浮かべ、ニューヨークの街並みに消えていく。
「どれが現実か教えてくれ。」
ヘンリーは精神科医のサムに自分が感じている言いようのない苦しみを打ち明けて3日後の誕生日に自殺をすることを仄めかす。
恋人ライラの協力を得ながらヘンリーのことを理解し自殺を止めようとする。
そしてサムの身の回りに説明のつかない不思議な現象が起こり始める。
同じ日常を繰り返す住人、三人の同じ服装した集団、死んだはずのヘンリーの両親との出会い、バーでTVで流れるヘンリーの生い立ち、絵画に散りばめられた具現化されたヘンリー遺志。
サムも気付き始める、この世界は何かがおかしいと。
説明のつかない現象に必ずヘンリーが関わっている。
サムはヘンリーに、この世界のことを問う為に彼の下に向かう。
始まりの場所、そして物語の終着点、マンハッタン橋へ。
一方、画家志望だったライラは描いてきた作品を見て驚愕する。
そこにあったのはキャンバスの裏に何故かヘンリーのサインが入っていた。

無自覚の神『ヘンリー』
無自覚の神『ヘンリー』
冒頭から気になるヘンリーの意味深な言動や登場人物の不自然さ。
初見はハッキリ言って意味不明。
しかし、ラストを知った上でもう一度この物語を観ると新たな発見の連続で魅入ってしまう。
この物語は一見すると単なる夢オチのように感じるけど、実はそうではありません。
冒頭の事故とラストのシーン以外はヘンリーの死の刹那に見えたことが反映された、消えゆく自分の意志により構築され世界。
それって夢じゃないの?と思うかもしれないけど、明らかにそれを超えた現象が物語の中で起こっている。

ヘンリー世界の住人には自我が存在し、それぞれに使命がある。
サムという他人の目を通して自分(ヘンリー)を救う使命を帯びた存在。
だからヘンリーの結婚指輪を持っていてライラを恋人に重ね合わせていた。
現実の世界に戻ったヘンリーは薄れゆく意識の中でライラに求婚をした。
しかし、実はもう一つ隠れた理由がある。
サムはヘンリーの目覚めは世界の崩壊を意味することを悟った。
ヘンリー世界の住人であるサムとライラの立場で考えると辛いものがある。
主人公がヘンリーではなく何故サムなのか?
釈然としない違和感があると思うけど、実はそれにもしっかり理由がある。
ヘンリー世界のサムとライラの記憶が断片的に現実世界の二人に影響している。
ヘンリー世界の住人にとってヘンリー世界こそが現実であり、ライラを愛したサムは自分が消えることを恐れていた。
そして、消えていった遺志を現実のサムとライラが継承した。
現実世界でもヘンリー世界の崩壊時に現れたものと同じ透明なカーテンような歪みが発生している。
映画のキャッチコピー「そのリアルを疑え」というのは、ヘンリー世界のことだけでなく現実世界のことも含んでいる。
夢という定義を超越した何かが、このヘンリー世界と現実世界を構築している。
それは何なのでしょうか?
ヘンリー世界は一体、何の為に生まれたのか?
運転中に乗せていた両親と恋人を事故により失ったことに強い罪の意識を感じ、辛うじて意識のあった瀕死のヘンリーは死の間際に渇望したのは自分ではない誰かの許し。
ヘンリー世界の神ならいかようにでもできるのに、それをしない。
映画のタイトルのSTEYにはとどまる・支える・猶予するという意味がある。
両親と恋人への贖罪の意志はサムへ、画家になる夢に纏わる渇望の意志はライラへと繋がる。
死の間際に救いを求め、許しを求めながらも画家として認められたいヘンリーの願いが世界のあらゆる人や言葉やモノに投影されている。
サムはヘンリーの代わりに父親と親しくチェスをして楽しみ、母親に会い許しを得たり、そして幸せに暮らす恋人と出会う。
死んだはずの盲目の父、ヘンリーの帰りを待つ母と幼い頃に死んだはず愛犬が居る我が家。
自分と恋愛関係にならず事故に遭わなかった恋人。
どの人物も現実世界とは異なるのはヘンリーがそうであってほしかったから生まれた存在。
そして、ライラの自傷行為も画家としての希望の裏に潜む、未来への言いようのない不安の表れ。
ヘンリーの自傷行為は両親と恋人への贖罪の為であり、その行為がヘンリー世界に影響を及ぼしている。
事故前の車中を観る限りはヘンリーそれなりに充実しているように見える。
ヘンリー世界では陰キャだけど現実ではヘンリーは陽キャっぽいけど、人の心ってそういうもの。
自分を許せないヘンリーは自分の世界に留まり、それをサムの身体を通して事故で死なせてしまった両親と恋人との交流により救いを求めた。
ヘンリーの目覚めと夢の終わり
ヘンリーの目覚めと夢の終わり
物語の終盤で全てを理解し、拳銃を手にしたヘンリーに混乱したサムが問いかけます。
「実は僕も分かっていない。どれが現実か。」
サムはヘンリーに優しく語りかけます。
「先生は現実だよ。俺を救おうとしたが遅かった。僕は目覚める。」
目覚めようするヘンリーをサムが諭す。
「目覚めてるよ。ヘンリー周りを見てみろ。これが夢なら現実は夢の中だ。」
躊躇し困惑する仕草を見せるヘンリー。
「残酷すぎる。見せたくなかった。」
銃口を口の中深くに咥え世界が終わる。
このヘンリーの「残酷」とは現実世界の事故のことやヘンリー世界のことではない。
二人の会話から察するにヘンリーはサムが目覚めを止めようとするまで彼に自我があることを知らなかった。
自分の創造した世界の全ては自分が望んだ虚構の産物と思っていた。
サムの言葉を聞いた瞬間、良き理解者でもあるサムという存在を自らの手で消失させることを理解して「残酷」という言葉を発した。
サムやライラだけでなく、もしかしたらヘンリー世界の全ての住人に自我があったのかもね。
ヘンリーは自分の世界で許しを請い、死という形で幕を閉じるはずだったが、新たな十字架を背負った状態で現実世界に戻ってくる。
そこでヘンリーは自分の世界でやり残した二つのことを行う。
ひとつはライラへの求婚。
これは単純にヘンリーが自分の恋人と重ね合わせたライラに対しての求婚しただけでなく、そこにはヘンリー世界のサムが果たせなかったライラへの求婚も含まれている。
そしてもう一つは、目覚めた後で現実世界でヘンリーがサムに対して言った「許してくれ」の言葉には事故に対する贖罪ではなく、そこにはヘンリー世界のサムに対する贖罪があった。
サムに言葉を放ったということは現実世界が繋がっているとヘンリーはどこかで感じていた。
意識失う寸前のライラへの求婚は恋人と重ね合したと同時にそれは、ヘンリーの中にあるサムがさせた行為。
ヘンリー世界の出来事や人格や記憶があるように、サムとライラにも記憶の断片が残っている描写がありました。
恐らくは二つの世界は現実世界のヘンリーの遺志が一方向のみに影響しているのではなく、相互で影響しあっていた。
そして、もうひとつが消えたはずの物語をヘンリーがサムへ繋げたこと。
ヘンリー世界は他者からの許しを求め、ヘンリーの願いが生みだした異質の夢なのかもしれない。
だけど、ラストシーンの現実世界なのにヘンリー世界と同じようにブルックリン橋やニューヨークの街並みに漂うあの歪みのカーテンが何故存在するのか?
現実世界も誰かの、あるいは何かの夢の中なのかも…
