洋画

STAY【生と死の狭間の渇望が生みだした世界】

ステイ

どうも、のうみです。

今回、解説するのはSTAY HOMEの期間に観た映画の中で最も引き込まれた映画『STAY』。

2005年に公開されマーク・フォースター監督作品。

キャストや制作スタッフにも内容の公言絶対禁止とされた作品です。

全ての作品がそれはやってはダメな気もしますが…

ニューヨークのブルックリン橋に座り込むヘンリー

燃え上がる車両を背に悲しげな表情浮かべながらニューヨークの街並みに消えていく。

「どれが現実か教えてくれ。」

ヘンリーは精神科医のサムに自分が感じている言いようのない苦しみを打ち明けて3日後の誕生日に自殺をすることを仄めかす。

サムの恋人ライラなど協力を得ながらヘンリーのことを理解し自殺を止めようとするのだがサムの身の回りに説明のつかない不思議な現象が起こり始める。

同じ日常を繰り返す住人、三人の同じ服装した集団、死んだはずのヘンリーの両親との出会い、バーで流れるヘンリーの生い立ち、絵画に散りばめられた具現化されたヘンリー遺志…

徐々にサムは気づき始める、この世界は何かがおかしいと。

説明のつかない現象に必ずヘンリーが関わっている。

サムはヘンリーにこの世界のことを問うために彼の下に向かう、全てが始まった場所であり全てが終わる場所でもあるマンハッタン橋へ。

一方、画家志望だったライラは自分の描きためていた作品を見て驚く、そこにあったのは自分の作品と思っていたキャンバスの裏にヘンリーのサインが入っていた。

ココからはネタバレを含むので、まだ知りたくない人は注意してください。

無自覚の神そして無意識の創造主ヘンリー

ステイ

冒頭から気になるヘンリーの意味深な言動や登場人物の不自然さなど、初見はハッキリ言って意味不明の作品です。

しかし、ラストを知った上でもう一度この物語を観ると発見の連続で魅入ってしまう作品です。

そして、この物語のラストは一見すると単なる夢オチのように感じるのですが、実はそうではありません。

冒頭の事故そしてラストの数分間のシーン以外はヘンリーの死の刹那に見て感じたことが反映され、今まさに消えゆく自分の意志により構築され世界です。

それって夢じゃないの?と思うかもしれませんが、明らかにそれを超えた現象が物語の中で起こっています。

ここからはヘンリーが創り出した世界のことをヘンリー世界と呼ばせてもらいます。

ヘンリー世界の住人には自我が存在し、それぞれに役割りあり、使命がある。

サムという他人の目を通して自分(ヘンリー)を救う使命を帯びた存在つまりサムはヘンリー分身でもある。

だからヘンリーの結婚指輪をもっていてライラを恋人に重ね合わせていた。

その結果、現実の世界に戻ったヘンリーは薄れゆく意識の中でライラに求婚をしたのです。

しかし、実はもう一つ隠れた理由があるのですがそれは後程。

物語の終盤でヘンリーの目覚めは世界の崩壊を意味することを悟った、ヘンリー世界の住人であるサムとライラの立場で考えると辛いものがあります。

ヘンリー世界では主人公が何故ヘンリーではなくサムなのか?

釈然としない違和感があると思いますが、実はそれにもしっかり理由がありますがこちらも後で解説します。

ヘンリー世界のサムとライラの記憶が断片的に現実世界の二人に影響している。

彼らにとってこのヘンリー世界こそが現実であり、ライラを愛したサムは自分が消えることを恐れている。

そして、その消えていった遺志を現実のサムとライラが継承してる。

ラストシーンで気になるのが、現実世界のはずがヘンリーの創り出した世界の崩壊時に現れたのと同じように透明なカーテンような歪みが発生していること。

恐らくですが映画のキャッチコピーでもあるそのリアルを疑えというのは、ヘンリー世界のことを言っているのですが、恐らく現実世界のことも含まれているのでしょうね。

それらのことから夢という定義を超越した何かがこのヘンリー世界を構築しているようです。

ではそれは何なのでしょうか?

創造主ヘンリーの渇望

ヘンリー世界は一体、何のために生まれたかを知る必要があります。

ヘンリーの運転中に乗せていた両親と恋人を事故により失ったことに強い罪の意識を感じ、辛うじて意識のある瀕死のヘンリーは死の間際に渇望したのはそれは許しなのではないかと。

あえて言うなれば自分ではない誰かの許し

ヘンリー世界の神と言っても過言ではないヘンリーにとっては、世界をどうとでも構築出来るはずなのにそうしない、そうできない理由はここにあるのだと思います。

映画のタイトルのSTEYには『とどまる』『支える』『猶予する』という意味も込められていて、まさにこの作品をテーマそのものです。

両親や恋人への愛情そして贖罪の意志はサムへ、画家を夢見ていた希望や不安の意志はライラへと繋がっています。

死の間際に救いを求め、許しを渇望しながらも画家として認められたいヘンリーの想いが世界のあらゆる人や言葉やモノに投影されています。

サムはヘンリーの代わりに父親と親しくチェスをして楽しみ、母親に会い許しを得たり、そして幸せに暮らす恋人に出会います。

死んだはずの盲目の父、ヘンリーの帰りを待つ母と幼い頃に死んだはず犬が居る我が家、そして自分と恋愛関係にならず事故に遭わない恋人。

どの人物も現実世界とは異なるのはヘンリーが渇望し、そうであってほしかったから生まれた存在なのでしょう。

そして、ライラの自傷行為も画家としての希望の裏に潜む未来への不安の表れなのかと思います。

ちなみにですがヘンリーの自傷行為は両親と恋人への贖罪の為であり、恐らくは現実世界では自傷行為はしていないと考えます。

なによりも事故前の車中を観る限りはヘンリーそれなりに充実しているように見えますよね。

ヘンリー世界では陰キャだけど現実ではヘンリーは陽キャっぽい…重い罪が全てを変えたということなのでしょう。

自分を許せないヘンリーは自分の世界にとどまり、それをサムは支えながら時にはサムの体を通して事故で死なせてしまった両親や恋人との交流によって救いを求めた。

そして本心では死にたくなかったけれど、この世界終わりは許されたヘンリーの最後の救いなのでしょう。

目覚めの後の隠された贖罪

物語の終盤で全てを理解し、拳銃を手にしたヘンリーに混乱したサムが問いかけます。

「実は僕もわかっていない。どれが現実か。」

サムはヘンリーに優しく語りかけます。

「先生は現実だよ。俺を救おうとしたが遅かった。僕は目覚める。」

目覚めようするヘンリーを諭すようにサムは、

目覚めてるよ。ヘンリー周りを見てみろ。これが夢なら現実は夢の中だ。

躊躇し困惑する仕草を見せるヘンリー。

残酷すぎる。見せたくなかった。」

銃口を口の中深くに咥え世界が終わる。

このヘンリーの「残酷」とは現実世界の事故のことやヘンリー世界のことでは無いと思います。

二人の会話から察するにヘンリーはサムが目覚めを止めようとするまで彼に自我があることを知らなかったのではないかと。

自分の創造した世界の全ては自分が渇望が生んだ虚構の産物と思ったいたヘンリーでしたが、サムの言葉を聞いた瞬間、分身でもあり良き理解者でもあるサムという存在を自らの手で消失させることを悟り「残酷」という言葉がでたのでしょう。

サムやライラだけでなく、もしかしたらヘンリー世界の全ての住人に実は自我があったのかも知れません。

ヘンリーは自分の世界で許しを貰い、死という形で目覚めるはずでしたが再び罪の十字架を背負った状態で現実世界に戻ってくることになりました。

そこでヘンリーは自分の世界で出来なかった二つのことを行います。

一つは恋人への求婚です。

これは単純にヘンリーが自分の恋人と重ね合わせたライラに対しての求婚しただけでは無く、そこにはヘンリー世界のサムが果たせなかったライラへの求婚も含まれているのです。

そしてもう一つは、目覚めた後で現実世界でヘンリーがサムに対して言った「許してくれ」の言葉には事故に対する贖罪のためでは無く、そこにはヘンリー世界のサムに対する贖罪があったのです。

サムにこの言葉を言うということは、ヘンリー世界がそうであったようにこちらの世界が繋がっているとヘンリーはどこかで信じていたでしょう。

意識失う寸前のライラへの求婚は恋人と重ね合したと同時にそれはヘンリーの中にあるサムがさせた行為なのです。

ヘンリーの中にヘンリー世界の出来事や人格や記憶があるように、サムとライラにも記憶の断片が残っている描写がありました。

恐らくは二つの世界は現実世界のヘンリーの遺志が一方向のみに影響しているのではなく、相互で影響しあっていたのでしょう。

消えるはずの物語をヘンリーが繋げたことこそが、この物語にとっての本当の救いなのではないでしょうか?

結局のところはヘンリー世界は他者からの許しを求めたヘンリーの渇望が生みだした異質の夢なのかもしれません。

しかし、ラストシーンの現実世界であるはずなのにヘンリー世界と同じようにブルックリン橋やニューヨークの街並みに漂う歪みが何故、存在するのかは誰にも説明できないですよね。

夢だけど、夢じゃなかった。最後まで観覧ありがとうございました。それじゃ~また。

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